シェルスクリプトマガジン

ITエンジニアのためのマーケティング入門 第22回 (vol.45掲載)

Written by 水間 丈博

本記事掲載のシェルスクリプトマガジンvol.45は以下リンク先でご購入できます。

おか爺:昔システム会社の役員をやっていたらしい。好奇心旺盛で意外とモノ知り。趣味は音楽(クラシックからJPOPまで!)と囲碁(有段者)。ちょっとした丘の上に住んでいるので「おか爺」と呼ばれている。やや奇怪な老人。

タケシ:工業大学でITを学び、小さなIT会社に就職したITエンジニアの卵。社長に「マーケティングを学んでおけ」と言われている。近くにある母方の祖父、おか爺の家に時々遊びに行く。趣味はサイクリング。まだ彼女はいない。

カンナ:タケシの後輩。大学では文学部で日本史を学ぶ。会社では広報部に配属された。

第22回 マーケティングの実践 – その10-

前回までのあらすじ

エンジニアのタケシは、社長からマーケティングを学ぶように言われ、近くに住む祖父「おか爺」の家に通い、マーケティングについていろいろ知識を吸収しています。マーケティングの基本について一通り学び終え、これから会社の後輩カンナちゃんと一緒にマーケティングの実践方法を学んで行こうと考えています。今回は「顧客経験価値マーケティング」のお話が始まります。

今日は「顧客経験価値マーケティング」の話をしてみよう。
「顧客経験価値」って、ときどき聞くけどどういうモノなの?
顧客経験価値は英語の「カスタマー・エクスペリエンス(Customer Experience)」という言葉を使う方が多いの。最近は略して…。
「CX」ですねっ!
おぉ、カンナちゃんさすがじゃな。その通り!とりわけIT業界は何でも略すのが得意じゃからのー。顧客経験価値マーケティングは「CXM」とかいわれておる。さてこのCX、定義が正確には固まっていないんじゃが、「製品やサービスそのものの持つ物質的・金銭的な価値ではなく、その利用経験を通じて得られる効果や感動、満足感といった心理的・感覚的な価値」と説明されておる※1。

※1 出典:「マーケティング用語集」SPI http://www.spi-consultants.com/ja/terms/archives/customer-experience.php

商品やサービスを売って「ありがとう」でおしまいじゃなくて、それで本当に満足してもらっているかってところに着目してるんだね?
そうなんじゃ。顧客が購買するモノやサービスに対しては、「製品自体の機能や性能、顧客が期待する利便性に対する対価(価値)」と長い間考えられてきたわけなんじゃが、よく引合いに出される「東京ディズニーランド/ディズニーシー」や北海道「旭山動物園」などの大成功にマーケティング関係者が触発されたこともあり、「製品・サービスを通じて顧客が得る“経験的ベネフィット”や心地良さを含めた価値こそが“トータルな価値”であり、競合から抜きんでる理由である」とする考え方が広まってきたんじゃよ。
感動の体験は「おカネに代えられない」って言いますからね。
それそれっ!“Priceless”とか“お金で買えない価値がある。買えるものはマスターカードで”というCMがヒットしたクレジットカードのMasterCardは、これでかなりシェアを挽回したんじゃよ。「経験価値マーケティング」が注目され始めたのは、ちょうどこのCMが流れ始めたころなんじゃ。
そのCM憶えてる!そんなに古い話じゃないんだね?
そうなんじゃ。「顧客経験価値」の考え方を広めたのは、アメリカの経営学者バーンド・H・シュミットが1999年に著した「顧客経験価値マーケティング」が最初と言われておる※2。

※2 “Experiential Marketing : How to Get Customers to Sense, Feel, Think, Act, and Relate to Your Company and Brands”(邦訳版:『顧客経験価値マーケティング』ダイヤモンド社 2004年)

どうして「顧客経験のマーケティング」に思い至ったのかしら?
1980年代に登場した、顧客とのインタラクションに着目した「リレーションシップ・マーケティング」に源流があるんじゃ。これをITで支援しようとしたものが「CRM(顧客関係管理)」なんじゃよ。
CRMパッケージは今でも使っている会社があるよね?
アメリカでCRMが登場した1990年代後半当時には、一人一人の顧客である「個客」に焦点を当てた「One to One マーケティング」が全盛だったこともあって、CRMは大流行したんじゃ。
そうだったんだー。
しかし、当初のCRMは、マーケティング支援ではなく「顧客情報管理」の延長上にあったために「カスタマーセンター」「ダイレクトコール(電話勧誘)」「ダイレクトメール」など「個々の顧客に到達し販売機会を増やすこと」に重点が置かれ過ぎてしまい、急速に廃れてしまったんじゃ。「データベース・マーケティング」とかもそうじゃな。しかし、現在の基礎を形作ったともいえるんじゃよ。
結局「押し売り」になっちゃったんだね?
カード会社などが「新規顧客獲得コストよりも既存顧客維持コストの方が圧倒的に安い!」なんて発表したものだから、既存顧客向けに顧客満足度を上げようとする動きが度を越したんじゃな。
そういえば最近ダイレクトメールがめっきり少なくなったよね?
そうした動きを見たシュミット先生は「CRMはけしからん!」と怒ってこの本を書いたわけじゃな。
「販売志向」から抜け出せていないってことなんですね?
そうじゃ。「顧客経験価値(CXM)」の考え方は何もコンシューマの世界だけではなくて、BtoBの世界でも重要じゃから、覚えておくと良いじゃろ。BtoBでも、製品やサービスを選ぶのはあくまで個人や個人の集合じゃからの。
そう!ウチの部長は感情的な価値偏重だよねー!?
フッフッ。そうよね、「好きか嫌いか」でしか判断しないのよね!
そういった選好性は「情緒的価値」になるんじゃろうな。それでまず、シュミット先生は「経験価値」を5つに分類してみたんじゃ。
どんなふうにですか?
感覚的経験、情緒的経験、認知的経験、行動的経験そして社会的経験の5つじゃ。整理するとこんな内容なんじゃよ(表1)。想像しやすいように具体例を入れてみたんじゃが、なんとなくでもよいから理解してもらえるかの?
ナルホド、あるあるだねー。ところで、この「AMEXセンチュリオンカード」って何?
通称「ブラックカード」のことじゃよ。
知ってます!世界のセレブしか持てないっていうカードですね。

表1:顧客経験価値5つの分類

事例39:AMEXセンチュリオンカード

米国カード会社「アメリカン・エクスプレス センチュリオンカード(American Express Centurion Card)」の黒色はカードとしては独特だ(現在は他社も追随している)。顧客はチタン製のカードを選ぶこともできるという。AMEXでは以前から富裕層をターゲットとした「ゴールド・カード」が存在し、高度なサービスを求める顧客から好評を博しビジネスとして成功を収めていた。しかし、競合他社が相次いで「ゴールドカード」を発行するに及び、そのステータスの高さを維持することが困難になっていった。そこでAMEXは1984年に更に上位の「プラチナカード」を発行する。しかしこれも他社に追随されていく。ステータスの高い富裕層を強力に囲い込むため、1999年に「センチュリオン・カード」を発行、高額の年会費で他社を振り切る戦略に出た。通称「ブラックカード」と呼ばれるこのカードは、一切宣伝広告をせず、選ばれた最重要顧客だけが密かに「招待キット」を受け取る。そのサービスは群を抜いており、専任コンシェルジュに世界中からコレクトコールで電話が可能、誕生日にプレゼントが届く、ブランドショップの閉店後に特別にプライベートショッピングが可能など、そのステータスに見合ったサービスが受けられる。現在日本では入会金54万円、年会費は37.8万円といわれている。
出典:Wikipedia「アメリカン・エキスプレス・センチュリオン・カード」
会費37万円?!
格差社会の象徴のようで、ちょっと引いちゃうわね。
ワシも想像はつかんぞな…昔はゴールドカードに憧れていた時期もあったんじゃがのー、ハッハ。
 「行動的経験(ACT)」といえば、「嵐」のコンサートチケットがヤフオクで高額で取引されてるってニュースで見たわね。
最近音楽CDが売れなくなっているといわれておるが、逆にライブはここ6~7年の間に売上も入場者数も急激に増えておるんじゃよ。2015年はMr.Childrenが約112万人を動員してトップ、2016年はまだ統計が出ていないが、今のところ韓流のBIGBANGがトップらしい※3。

※3 出典:「1位はミスチル コンサート動員力ランキング」日経エンターテイメント 
http://style.nikkei.com/article/DGXMZO94721470T01C15A2000000?channel=DF280120166614

図2:ライブ入場者数推移表※4

※4 出典:「一般社団法人コンサートプロモーターズ協会」 http://www.acpc.or.jp/marketing/transition/

CDよりもやっぱりライブがサイコーだよねー!
タケシさん、そういえば「ももクロ」のライブはどうだったの?
えーっ!なんで知ってんのーっ?!
おっと、その「ももいろクローバーZ」は2016年上半期では2位だったらしいぞな。惜しかったのう!
しらんわ!
フフッ!
経験価値の重要性はもう体験済みなわけじゃな。さて、本題に戻るぞな。この5つの経験価値はもちろん相互に排他的なものではなくて、複数の経験価値を同時に満たしているような場合もあるから、そう厳密に考える必要はないんじゃよ。例えばこんなイメージじゃな。

図3:シュミットの5つの経験価値
そういえば、東京ディズニーシーは絶叫に近いアトラクションもあるし、年間パスを持ってると友達に自慢できるから、「Feel」、「Act」、「Relate」を同時に満たしているかもしれないよね?
そうなんじゃ、タケシ。珍しくサエておるなー。
またまたっ、それ止めてよ!
シュミット先生は「顧客経験価値マーケティング」で顧客経験価値を体系的に分析し、次の著作の「経験価値マネジメント」の中で経験価値をマネジメントすることに挑んでおる。これを略して「CEM(Customer Experience Management)」と呼んでおるんじゃが、その中で「3つの間違ったアプローチ」として「マーケティング・コンセプト」、「顧客満足」、「CRM」を挙げておるんじゃ。
3つの間違い、ですか?
それぞれについて次のように断罪しておるんじゃ。

1.「マーケティング・コンセプト」:
顧客指向と言いながら製品中心の見方から脱しきれていない。
2.「顧客満足」:
消費者の製品やサービスにまつわるすべての経験まで考慮されていない。
3.「CRM」:
取引に焦点があてられ、顧客との情緒的つながりが無視されている。
なんか、今まで“追求することが良いこと”って教えられてきたモノのような気もするわね?
その通り!「マーケティング・コンセプト」の提唱者で、以前に紹介したこともあるマーケティングの大家、P.コトラー先生を暗に批判しておるんじゃな。
へーっ、そうなのか。いろいろあるんだねー。
次回は「経験価値マネジメント」のフレームワークという話をしてみようかの。
面白くなってきましたね!
(つづく)